今の自分を客観的に見つめてみると、、、
サバイバルゲーム
相変わらずこちらでのゴチャゴチャとした手続きに追われる生活をしているのですが、「えっ!? そんなの聞いてないよ!!!」ってことが幾つかありまして、ぶっちゃけかなり疲れています。
私は「それはおかしい」と思ったら結構ガンガン主張したり文句を言ったりするタイプなのですが、というか、そうでなかったら海外現地採用なんかではなかなか生きていけないような気がしますが、この国では全然ダメです。みんな言い合いに慣れ過ぎていて、ニコニコしながら「まあまあ、気楽にいこうよ! ここはチャイナだぜ!」なんて言われるだけです。
びっくりするような高待遇でヘッドハントされる日本人技術者なんかもまだまだそれなりにいるそうですから、私のような底辺外国人労働者はもしかしたら珍しいのかもしれませんが、とりあえず私の現状にはかなり厳しいものがあります。自分の人生を振り返っても、これほどまでにしんどい時間は過去にありませんでした。
今やっているのは何かと言うと、まさにサバイバルゲームです。サバイバルゲームと言っても、日本人が綺麗な格好をして楽しむ娯楽としてのゲームじゃなくて、もっとガチなやつです。ネットで情報を漁っていてわかったのですが、中国駐在で鬱になる日本人というのは決して少なくないのだとか。ただ、私からしたら駐在員なんて貴族です。こっちは本物のローカル貧民と同じ給料をもらって同じレベルの生活をしていますから。
ほとんどの日本人は、仮に今の私と同じ生活をしたとしたら、多分発狂したり鬱になって飛んじゃったりするのではないでしょうか。そのくらいしんどいです本当に。
みなさん、高待遇なら話は別ですが、そうじゃなかったら絶対に来ちゃダメですよ。いいことなんてありませんから本当に。
神様へ
これは全部、私への「罰」なのだと思っています。
今までの私の悪事をずっと見ていた神様が、私をスラムへと連れ去ったのでしょう。
でも、逆効果な気がします、、、
スラムでの生活を経て日本に帰ったとして、私は「足るを知る」器が大きく他者に寛容で平和を愛する強くて魅力的な人間になれるでしょうか?
そんなわけがない。絶対にあり得ない。
やたらと好戦的で他人のミスを絶対に許さず、出来が悪ければ徹底的に追い込み、口癖は「いっぺん地獄見てこいや!!!」、そんな感じのアグレッシブジジイになるに決まっています。
だから、神様、あなたの判断は絶対に間違っています。
私なんて生まれも育ちも貧しく学もなくて、今までにいいことなんてほとんどありませんでした。そんな貧者に鞭を打つ神様を私は見たくなかったです。
私のような貧者には施しが最も有効です。そうすれば私はニコニコ他者に寛容な態度が取れます。幼い頃からずっと貧しいので、ポジティブな言葉ならたくさん知っています。それらを他者をハッピーにするために使いたいのです。幼少期には散々暴力を受けたから他人の痛みはよくわかるし、セクハラ以外のハラスメントなら大概受けた経験がありますから、そっちに関してもよく理解しています。今までの負の経験を活かしたいのです。
って言っても、、、伝わらないか。
だってお前、生きとし生けるものの中で最低のクズだもんね。
お前のせいで、世界は嘆きに満ちているよ。戦争している連中はみんな「神の名の下に」って言ってるし。
お前だろ、「一人でも多く巻き添えにしたら天国に送ってあげるよ」って言ってたくさんの若者を兵器に仕立て上げたのは。
まとめ
はい、というわけで、今の私はこんな感じです。
今回はなかなか前向きになれず、結構真面目に困っています。私はこれまでの人生において、しんどいことなら山ほど経験してきましたが、今回は本当にキツいです。
「何がそんなにまでしんどいのか?」という話になるわけですが、やっぱり自分自身がこの国で完全に浮いてしまっている点だと思います。中国人が不寛容だと言っているわけではなくて、まあ相性の問題なのかな、、、なんて私は思っていますが、本当のところはよくわかりません。
住居が廃墟とか給料が日本の生活保護の半額程度とかっていうのはまだギリギリ私には耐えられるんです。本当にこれまでびっくりするくらい貧しい生活をしてきましたから。ただ、心の問題はまた別なんですよね、、、
想像してみてください。何もない砂漠でテント生活をすることになったとして、例えば、もし愛する人が一緒だったら、、、多分「地獄」とまでは思わないのではないでしょうか。私は長生きになんて何の価値もないと思っていますから、道の半ばで朽ちることに抵抗はありません。生まれてから死ぬまでの時間を積分して、幸福度の総和で比較した時に初めて評価が可能になると考えていますから。
って、まあ要は「寂しい」って言いたいだけです。はい、それだけの話です、、、
オッサンの女々しい愚痴にお付き合いいただきありがとうございました。
台湾にいた時とは違って、価値のある情報の発信はどうも難しそうなので、当ブログではこんな感じの言葉遊びがコンテンツの中心になってしまうかもしれません。なので、通勤列車の中でタブロイド紙を読むような感じで、エンターテイメントと割り切って今後もお読みいただけると嬉しいです。